創業のいきさつと、創業地について

 当蔵、新政酒造は、嘉永五年(1852年)、幕末動乱 の時期に創業いたしました。創業者は、初代 佐藤卯兵衛(さとう うへえ)。その名から「うへえの酒」と地元で親しまれておりました。その後、明治政府が施策の大綱とした「新政厚徳」(しんせいこうとく)・「新政」(あらまさ)という名称を戴くようになりました。意味は「厚き徳をもって新しい政(まつりごと)をなす」という意味です。
 時代はくだり大正期。四代佐藤佐吉は、経営的に成功を収めた後、息子である卯三郎(うさぶろう)を、醸造を学ぶことにおいては最高峰であった「大阪高等工業学 校」(現・大阪大学工学部)へと進学させました。当時は、兵庫の灘が最高の銘醸地です。この酒のメッカにほど近い大阪の「大阪高等工業高校」には、全国の酒造関係者、あるいは大蔵省・国税庁の技師の卵などが集っておりました。
 後に五代目卯兵衛となる、佐藤卯三郎は大学在籍時からその片鱗を見せました。ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝氏が同窓生であり、同校には「西の竹鶴、東の卯兵衛」という学業成績の優秀さを讃える言葉があったとのことです。
 卯三郎は帰郷するや、自ら醸造指揮者として家業に従事。自らも酒質向上を目指して研究に奮励努力しまし た。より優れた酒を醸さんとする艱難辛苦の果て、五代目卯兵衛は、ついに六号酵母(きょうかい6号=新政酵母)を自らの酒に現出させることに成功することになるのです。

きょうかい酵母とは

 五代目佐藤卯兵衛が、その酒造技術を完成させつつあった頃、大阪大学の後輩であった国税庁技術者・小穴富司雄(おあな・ふじお)氏の手により、新政のもろみから、優良酵母が採取される運びとなりました。これが「きょうかい6号酵母」です。「きょうかい酵母」とは国税庁の麾下の研究機関「国立醸造試験場」が主に採取 認定した酵母のことです。酵母の実際の培養と販売については、外郭団体として設立された公益法人「日本醸造協会」が行います。このため「きょうかい酵母」という名前がついています。つまるところ、「国家認定酵母」と言い換えることができるでしょう。

きょうかい酵母の歴史

 なお「きょうかい酵母」の歴史を見ると、銘醸地のトレンドを追うものであることがわかります。例えば、明治39年に発見された「きょうかい1号」は、灘の「櫻 正宗」のもろみより採取されました。2号は京都・伏見の「月桂冠」です。
 大正に入ると、長く続いた灘・伏見の一強時代は終わりを告げます。「軟水醸造法」を確立した広島県が新たな銘醸地として名乗りを上げたのです。同県からは「酔心酒造」にて3号酵母、また採取蔵不明ながら4号酵母、さらには5号酵母が「賀茂鶴酒造」から採取されました。
 このように、常に日本酒の歴史は西日本を中心に動いていました。そもそも、日本酒誕生から長い間、常に「酒どころ」とは西日本であったのです。日本酒は奈良で土台が築かれ、京都においてより洗練され、兵庫・灘でその製法に一応の完成を見たものといえます。このように、6号酵母誕生以前はむしろ銘醸地は南下していたくらいだったのです。
 ところが昭和5年、摂氏10度以下という極低温でも 楽々と発酵を完遂する新酵母が東北の最果てからあらわれたことは、驚きをもって迎えられました。これがはじめての寒冷地酵母「きょうかい6号」です。
 6号は昭和10年に販売されるや、酒造業界を席巻し、それ以前のきょうかい酵母は必然的に注文が途絶えてしまい、ほどなく1~5号酵母の頒布は中止に追い込まれました。こうして6号という低温耐性酵母の誕生以降、雪深い寒冷地でも、安定して高級酒造りが可能となり、必然的に銘醸地の構造が変化してしまいました。いまとなっては酒どころとして誰もが疑わない東北や北陸、信州が名乗りを上げる土壌がここに築かれたといえます。

6号酵母と第二次世界大戦

 「きょうかい酵母」は現在、19号まで存在しておりますが、初期の1号から5号、また12号(浦霞酵母)は、前述のとおり亡失扱いとなっています。このため、「きょうかい6号」は現役としては最古の市販清酒酵母となります。
 特に1940年から、(7号酵母が登場した)1945年までの6年間において醸造協会が頒布した酵母は「6号酵母」のみとなります。これは、ちょうど第二次世界大戦中にあたる時期です。当時は、国家危急存亡の時ですから一切の原料を無駄にはできません。旧来の蔵付きの野生酵母による不安定な酒造りではなく、「きょうかい酵母」つまり醸造用に特化した培養酵母を用いる酒造りへと製法が移り変わったころです。「きょうかい酵母」のおかげで、日本酒の安全醸造と高品質化が容易となりました。ひいては酒税の安定的な徴収に結びついたであろうことは想像に難くありません。
 実際、明治から昭和初期における国税収入の割合を見ると、酒税が一位・二位を争う最重要の税源です。第二次世界大戦中においても、酒税は特に重要な財源でありつづけました。「きょうかい6号」は、国の収益構造に 多大なる影響を与え、戦時の日本を支えていたともいえるでしょう。

6号酵母の遺伝的性質

 6号酵母は、最近の遺伝子情報の解読により、それ以降の清酒酵母の親であることがわかっています。6号以降の清酒酵母は、すべて遺伝的に6号の突然変異であることが証明されているのです。6号が「清酒酵母のEVE(原初の存在)」と呼ばれる所以です。これは前述のように終戦までの8年間「きょうかい6号」のみの酒造りが全国で行われたことと無縁ではないと思われます。
 なお、6号酵母自体は、「酵母無添加」の生酛系酒母の仕込にて生まれた酵母です。天然から現れた酵母ですので、それ以上遺伝的にさかのぼることはできないようです。このため6号はそれ以前の1~5号酵母とは遺伝的な関係的が薄く、ゲノム情報においても大きな相違があることが実証されております。
 この「6号酵母」の味わいですが、現在の最新の酵母たちにくらべると、地味な印象を与えることは否めません。しかしこの酵母がベースとなり、変異株が選抜されたり、改造されたりして、その後の酵母が現れたことを考えると、むしろその慎ましやかな香味は勲章のようなものです。
 芳香穏やかにして清冽。長期間にわたる低温状態に耐えうる強健な発酵力を持ち、高いアルコール発酵能力を誇る。「きょうかい6号」は、まさに「清酒酵母」の本質そのものといえる酵母なのです。

五代目卯兵衛と新政酒造

 昭和10年の「きょうかい6号」登場前後の期間は、新政酒造のはじめの技術的頂点が示された時代だったと言えます。全国新酒鑑評会にて、昭和2年と3年に全国三位の快挙を果たしております。この東北の蔵にしては珍しい高成績がきっかけとなり、直後の昭和5年に酵母が採取されるきっかけになりました。
 そして昭和10年、満を持して「きょうかい6号」は頒布されるのですが、むしろここからが本家の本領発揮といった記録を残しています。全国新酒鑑評会においては、昭和13年に全国三位、14年には全国二位、それから昭和 15・16年には2年連続で「全国首席」を獲得いたしました。
 酒蔵が一万軒近くもひしめきあっていたこの時代、国税庁が主催する最も重要な公的審査会にて全国首席を2年連続で戴いたことはまさしく快挙であったと思われます。まさに中興の祖、五代目卯兵衛のキャリアの絶頂を示すものでした。
 しかしながら、次第に日本の戦況は芳しくなくなります。酒蔵は企業整備令にて徐々に単独営業を禁じられ、純米酒の代わりに醸造用アルコールを使用した酒が酒税法で認めらるなど、大きな変動が酒造界を揺さぶりました。
 こうして日本は終戦を迎えることになり、五代目卯兵衛は戦後の混乱の最中、結核のため惜しまれながら52歳で逝去したのでした。

その後の新政酒造

 戦後、当蔵は大規模な火事に見舞われ、廃業寸前までに経営が追い込まれたこともありました。しかしながら、六代卯兵衛、七代卯兵衛と、幾多の苦難を乗り越えながらも、現在まで絶やすことなく「新政」は創業地にて変わらずに醸造を続けています。

 最近の出来事としては、2008~09年度醸造(平成20酒造年度)から、平均年齢三十代前半という社員醸造に移行いたしました。

 2009~10年度醸造(平成21酒造年度)から、秋田県の自然と先祖の功績に最大限の敬意を表し、使用酵母を「六号酵母」系のみに限定しました。

 翌、2010~11年度醸造(平成22酒造年度)からは、トレーサビリティの徹底と地域貢献を目的に、原料米を秋田県産米に限りました。

 2012~13年(平成24酒造年度)、全商品、純米造りの体制に移行が終了しました。

 2013~14年(平成25酒造年度)には、「生酛系酒母」 (生酛と山廃酛)、また「培養乳酸菌を使用した酒母」に酒母製法を限定することで、醸造用乳酸という既製品の酸味料を添加して作られる「速醸酒母」から決別しま した。

 2014~15年(平成26酒造年度)は酒母に「培養乳酸菌」を用いることを止め、天然由来の乳酸菌によって造る「生酛系酒母」のみに製法を限定しました(なお、「培養乳酸菌」は、「きょうかい酵母」と同様、生きた微生物です。醸造用乳酸のような酸味料ではありません。しかしながら、当蔵は、単一の株の微生物を培養して使用するより、醸造中に自然に混入してくる乳酸菌によって酒母をたてるほうが酒質が上がると考えました) 。また、製法としても「山廃」から、「生酛」へと製法を統一。より当蔵にマッチした醸造法を求めた結果、2015~16年(平成27酒造年度)より、「生酛純米蔵」となりました。

 今後は、6号酵母がそもそも天然由来の優良野生酵母であった事実から「きょうかい6号」のほか、培養した酵母を用いない「酵母無添加」での製法を増やしてゆきたいと考えています。完全な生酛であれば、「きょうかい酵母」のような醸造用の培養酵母を用いなくても酒造りが可能になるからです。

当蔵の方針

 現状の日本酒はほとんどが「速醸酒母」という製法をもとに造られております。しかし当蔵は伝統的にして高度な技術を要する「生酛系」酒母の価値を再認識していただくために啓蒙活動を行っています。

 また酒税法上では、使用しても表示義務がない酒質矯正剤や発酵補助剤がありますが、当蔵は酸類だけではなく酵素剤やミネラル類など、最終製品に残存する可能性ある添加物についても一切使用いたしません。

 新政酒造は、すべて秋田の素材のみを用い、本来の日本酒の姿を求めて、様々な取り組みを続けております。 今後とも、当蔵をご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。